司馬遼太郎

(1923-1996)大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を一新する話題作を続々と発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞を受賞したのを始め、数々の賞を受賞。1993(平成5)年には文化勲章を受章。“司馬史観”とよばれる自在で明晰な歴史の見方が絶大な信頼をあつめるなか、1971年開始の『街道をゆく』などの連載半ばにして急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

白洲 正子

(1910-1998)随筆家。1910年東京都生れ。祖父は薩摩出身の海軍大将・樺山資紀伯爵。幼時より梅若宗家で能を習う。1924年アメリカ留学、1928年帰国。1929年、実業家・白洲次郎と結婚。1943年、処女作『お能』(昭和刊行会)上梓。戦後、小林秀雄、青山二郎を知り、文章と審美眼を鍛えられる。1964年『能面』(求龍堂)で読売文学賞(研究・翻訳部門)、1972年『かくれ里』(新潮社)で同賞(随筆・紀行部門)を受賞。著書に『日本のたくみ』『西行』『白洲正子自伝』(いずれも新潮社)など多数。1998年歿。

近江を愛した 司馬遼太郎 と 白洲正子

司馬遼太郎氏の『街道をゆく』 、白洲正子氏の『隠れ里』など、近江を紹介するとともに、非常に近江を愛しておられることが、よくわかる。
 京都のような観光地ではないが、歴史のディープなものを探すには、この両氏の本を参考に旅に出かけては、いかがでしょうか?
例えば、街道をゆく2の韓国に紀行では、韓国と日本の古くからの交流について、書かれています。
近江は昔、遷都があり、その頃、朝鮮半島では百済が滅亡、多くの人が、日本に亡命され、近江の蒲生野に住んでいたといわれています。

その昔、帰化人が、国のブレインになっていたこともあり、日野の鬼室神社であったり、東近江の石塔寺などの史跡が百済寺というのも字の通り、百済(くだら)にちなんだ、ネーミングです。これは特に東近江にたくさんあります。
白洲正子氏も、『近江のお寺には、奈良や京都のような美術品がふんだんにあるわけじゃないけれども、石造美術だけは一流ですもの』と表現されています。
また、司馬氏の近江商人帰化人説というのも興味深い。

これから、お二人が愛した近江を、ご紹介していきたいと思います。

                                            スタッフ 小田